特別企画2014 Vol.1 バロック〜前古典派の作曲家たち

ラモー
ジャン=フィリップ・ラモー Jean-Philippe Rameau (1683-1764)…没後250年
フランス・バロックを代表する作曲家、音楽理論家。生地ディジョンの教会オルガニストを務めた父から音楽教育を受ける。 オルガニストとしてアヴィニョン、クレルモン=フェラン、パリ、生地ディジョンなどを転々とした後、1722年に「和声論」を著して注目を集める。 この頃からパリに定住し、1733年頃から財務官ププリニエール家の音楽監督に就任。同家サロンに集まる文化人たちとの交流から数々の劇音楽が生み出され、 リュリの後を継ぐフランス・オペラの第一人者として傑作を次々と発表、オペラ座だけでなく宮廷でも演奏され、後に貴族に叙せられた。 晩年は「ブフォン論争」の当事者としてジャン=ジャック・ルソーらと激しく対立。 和声に重点を置いた壮麗かつ力強い作風が特徴で、代表作にオペラ「イッポリトとアリシー」「ナヴァールの王女」「プラテー」、「クラヴサン曲集」全3集など。
「ブフォン論争」というのは1752年頃からパリで起きた知識人の論争で、荘重な様式美を重んじるフランス・オペラ派と明快で親しみやすいイタリア・オペラ派の対立です。 ラモーはもちろんフランス・オペラ側の重要人物でしたが、イタリア・オペラ側の論陣を張った人文主義者ルソーは実は作曲家志望で、 大家ラモーの妨害で音楽の道を閉ざされたという私憤が攻撃の原動力だったともいわれています。 クラヴサン曲も多数残しており、時に大胆な書法が特徴的ですが、今回は「新クラヴサン曲集」より、何度かライヴクリップにも登場している「ガヴォットと6つのドゥーブル」を、 初公開のライヴ音源でお届けします。
play ラモー:ガヴォットと6つのドゥーブル [4:54] 詳細情報

グルック
クリストフ・ヴィリバルト・グルック Christoph Willibald Gluck (1714-1787)…生誕300年
ドイツ生まれのオペラ作曲家。プラハ大学で数学を学びつつ音楽を志し、ウィーンでロプコヴィツ侯の室内楽奏者となる。 1737年ミラノに赴き、サンマルティーニに作曲を師事。イタリア各地のオペラ座で自作を上演し、イタリア・オペラの様式を習得。1750年結婚を機にウィーンに居住、 1754年宮廷音楽監督に任ぜられ、宮廷歌劇場監督のドラッツォの協力を得て、簡素で自然な新しいスタイルのオペラに着手(「グルックのオペラ改革」)。 「オルフェオとエウリディーチェ」「アルチェステ」などの傑作を完成させたが、やがてウィーンの聴衆の関心はイタリアのオペラ・ブッファに移り、人気を失う。 1770年代にパリに進出し、前述2作をフランス・オペラに書き換えて上演するなど活躍。 グルックを支持する人々と、伝統的なイタリア・オペラ様式を踏襲するピッチンニを擁する一派とが対立し「グルック=ピッチンニ論争」を巻き起こした。 引退後はウィーンに戻り、同地で死去。代表作に前2作のほか「中国人」「晴らされた無実」「アルミード」など。
「グルック=ピッチンニ論争」は前項の「ブフォン論争」の最終局面でもありましたが、バロック期のフランス・オペラに馴染みのない私たちにとっては、 オペラ改革といってもあまりピンと来ないかもしれません。当時としては画期的だったグルックの音楽は、現代の基準からいうとずいぶんと微温的で、保守的なように感じられます。 彼が書いたオペラはほとんど「オペラ・セリア」、古代に題材を採った厳粛な悲劇で、庶民的で楽しいオペラ・ブッファに比べると、 やはり人物や物語の筋に共感しにくいものがあるのは事実です。
有名なギリシャ神話に基づく代表作「オルフェオとエウリディーチェ」の中で、現代でも人気のあるナンバーは2本のフルートが活躍する間奏曲「精霊の踊り」。 後のフランス進出時の改訂で、この優雅な旋律に悲哀に満ちた中間部が挟み込まれました。 この中間部だけを取り出して、ピアノ用に編曲したのが今回お聴きいただくジロティ編の「メロディ」です。
play グルック/ジロティ:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」より メロディ [3:02] 詳細情報

C.P.E.バッハ
カルル・フィリップ・エマヌエル・バッハ Carl Philipp Emanuel Bach (1714-1788)…生誕300年
ドイツの作曲家。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの次男としてヴァイマールで生まれる。幼時より楽才を示し、父の指導のもと作曲を開始。 ライプツィヒとフランクフルトで法学を修めるが、卒業後は音楽の道を選び、ベルリンで後のフリードリヒ大王に仕える。1740年宮廷音楽家に任命され、 作曲家・鍵盤奏者としての地位を確立するが、保守的な音楽嗜好のフリードリヒ大王には優遇されなかった。1767年、父の友人であり本人の名付け親でもあったテレマンが死去すると、 その後任としてハンブルクの音楽監督に就任。教会での指導の傍ら活発な演奏活動で人気を博し、父を凌いで一族の筆頭たる「大バッハ」と称された。 バロックから古典派への橋渡しとなる「前古典派」の代表的な作曲家で、父から受け継いだ確固たる理論的基礎の上に自由で独創的な作風を展開した。 代表作に約80のソナタを含む200曲にものぼる鍵盤楽曲、50曲の鍵盤協奏曲、19曲の交響曲など。教本「正しいクラヴィーア奏法の試論」も名高い。
大バッハの息子たちの中でも、とりわけ華々しい成功を収めた次男エマヌエル。 対位法的な技法を色濃く残したものから、ときに感情の高ぶりを押さえきれないようなロマンティックなものまで、さまざまなスタイルを折衷したその作品表を眺めると、 いったいどのようなパーソナリティーの持ち主だったのか理解に苦しむところもあるのですが(個人的には意外にエキセントリックな資質の作曲家だったのではないかと想像しています)、 後世のハイドン、ベートーヴェン、ブラームスらに与えた影響は大きく、活躍した地名から「ベルリンのバッハ」「ハンブルクのバッハ」とも呼ばれて親しまれました。
紹介する音源は「ロンド・エスプレッシーヴォ」という名前で知られているピースですが、実は通奏低音様式で書かれたクラヴィーア・ソナタの解釈譜のようです。 「ロ短調」という調性も相まって、非常にロマンティックな味わいの作品です。
play C.P.E.バッハ:ロンド・エスプレッシーヴォ ロ短調 [2:17] 詳細情報
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